LOTUS 2月句会レポート ~まさかの円形俳句by鈴木純一~ [LOTUS]
LOTUS2月句会といえば、この句を取り上げないわけにいかないだろう。
このブログの書式では表記できないので下記に写真を。
この句は「にしんほうの心あれば水はみがき 鈴木純一」
東西南北の北が開始の「に」東に「の」南は「れ」西に「は」もしくは「み」とくる配置で、最後「みがき(にしん)」と、つい続き読みてしまうところが、知らず知らず一巡を超え、この句の無限ループにはいってしまうというコワアイ俳句なのだ!
しかも「みがきにしん」といえばやはり思いだすのはあの安井浩司さんだ。安井さんのみがきにしんをこんな形で・・・私は呆然と立ち尽くし口から咀嚼も半ばの身欠きにしんをだらりと垂らすのみである(汚い)。
とまれ、俳句にこんな遊び方があるのだ。
例えばこの句を通常の一本書きにしてみたところで意味は全然通じない。
にしんほうの心あれば水はみがきにしん 鈴木純一
分からないけど読んでしまう。しかもそれを円形にして「にしん(ミガキニシン)」から「にしん(二進)」へ繋げてしまうところは本当に呆然と口を空けるしかない代物である。
必ずしも北から読まなければいけないということもないのであって、この円形をじっとみているとどこからでも読んでしまいそうな不思議な誘惑と衝動に駆られる。
以下、句評集成より選者の評を抜粋。
吉村:
一行も多行も俳句なら、こんな形も許せるのだろう。円行とでも呼ぼうか。でも、何処から読んでも面白い。「ほう」=法と解釈し、仏教的な意味を感じた。
「二進法の心あれば水歯磨き」、「身欠き鰊法の心あれば水は」、「水は磨きに信法の心あれば」等々。
唯、いつも「心」と「水」が漢字表記で変わらない存在が佳い。ひらがな表記の力を借りて、読み手へのサービスを提供してくれているけれど、本当はどう詠んだのかを教えて頂きたいのだが、きっと、「ご自由に」と返事がくるのだろう。
北野:
円形俳句。身欠き鰊と二進法の掛詞がやっと分かった。大体、俳句はクイズではない!これは身勝手な私の八つ当たりでしょうか。
三枝:
一見すると円形を用いた言葉遊びの句のように思えます。「みがきにしん/ほう(法?呆?芳?)の心あれば水は」「水はみがき/にしんほう(二進法)の心あれば・・・」「しんほう(心法?辛抱?)の心あれば/水はみがきに」「う(鵜)の心/あれば水はみがきに・・」等々、どこから読んでも面白く、謎解きのような図になっています。それはそれで楽しいのですが、この句が呼び起こしてくれるものはそれだけではありません。この円形が生み出す始まりも終わりもないエネルギーは、俳句の本質を考えさせてくれます。「行きて帰る心」ということを図に示せばそれは多分このような円の形になると思います。俳句の面白さの本質は、何度読んでもついに説明することができない円環的な謎のような部分にある、ということをこの図は思い起こさせてくれます。
今回奇しくもNo.29でも「0」の文字が出てきました。「0」という丸い形は、ただそれだけで美しく完成され、またどことなく滑稽な感じもします。この句を多行俳句と読んでいいのかどうかわかりませんが、一行棒書きの俳句とは異なる世界を創りだし、円環、球体のもつ無限性やその不思議を感じさせてくれます。
以上。ちなみにNo.29の俳句で「0」を用いた句があったので三枝さんは上記のように言っているわけです。自分の句なんですが。
しかし、毎回面白いLOTUS句会です。
また、ちょくちょく書くかも知れません。
興味をもった方は、遠方でも参加できる句会なので、受付メールアドレスにご連絡ください。
隔月で開いています。やりとりはメールやFAX,郵送で可。
句会日の一か月前に投句すると清記表が送られてくるので、句評を書いて担当者まで送る、という仕組みです。
連絡先アドレスは現在準備中です。
コメント 0